折紙解説

折り紙『千羽鶴』の云われとは? 縁起が良く、世界平和を願う!!

『千羽鶴』は、日本の代表的伝承折り紙である『折鶴』を、千羽製作し、
糸で、綴じて束ねたものです。千羽と言うのは、多数という意味で、
必ずしも、千羽でなくとも良い。
社寺への奉納、安全祈願、祝福、病気見舞いの献上品として、災害の
慰安として使われている。鶴が多くいるのは、縁起が良く、長寿を誘う、
幸福を呼ぶ。

広島への原爆投下で、被爆し、原爆症で死亡した佐々木貞子さんが、
自らの延命のために『千羽鶴』を折っていたことから、平和のシンボル
となっている。

『千羽鶴』が、原爆患者の間で、折られ始めていたことについては、
記録が残っている。原爆2世児の佐々木貞子さんが入院していた日赤に、
届けられた慰問の手紙内に、5センチメートル大のセロハンでつくった
折鶴が入っており、それに目をとめた貞子さんは、暇を見て看護婦さん
からもらう薬の包紙や見舞品の包装紙をを小さく切って、丹念に
鶴を綺麗に折って、枕元につるしていった。貞子さんは、「こうして、
鶴を千羽折れば、きっとわたしの病気は治る!」と信じた。
しかし、1955年原爆症により、12歳で短い生涯を閉じた。貞子さんは、
鶴を千羽折ると病気が治ると聞かされ、毎日病床で折り続けたが再起でき
なかった。彼女の遺した平和への願いにこたえ、世界に平和を訴えるため
級友たちの発案で、日本国内外から寄せられた資金で建設されたのが
「原爆の子の像」。 広島平和記念公園の一角にあるこの金色の折鶴を
かかげる少女の像には千羽鶴の献呈が絶えない。
この貞子さんの話は、日本人以上に、世界的な反響が強く、外国からの
千羽鶴の献呈が多い。一昨年前の広島式典では、米国のオバマ大統領が、
折鶴を献呈している事は、記憶に新しい。

この『千羽鶴』は、戦後ではなく、さらに前の江戸時代にも作られていた。
『折鶴』自体は、江戸時代初旬に折られているが、千羽鶴と呼ばれるものは、
1797年(寛永9年)『秘伝千羽鶴折形(ひでんせんばづるおりかた)』が出版
されており、そこでの蓮鶴が、『千羽鶴』にあたる。この書物は、現存する
世界で最も古い遊技折り紙の書物であり、伊勢国桑名の長円寺11世住職、
義道一円(ぎどういちえん、漢詩を書く際の号は魯縞庵(ろこうあん))に
よって作られた。この折りかたは現在でも「桑名の千羽鶴」として知られ、
桑名市の無形文化財に指定されている。49種類の連鶴の折り方が絵入りで書かれている。
特に、百鶴(ひゃっかく)(解説書「つなぎ折鶴の世界」、岡村昌夫作)で、
一枚の和紙から、はさみを入れ、正方形の端を繋げて、『千羽鶴』を折った
もので、蓮鶴の技術である。

  以下の表題写真『蓮千羽鶴』は、百鶴(ひゃっかく)をイメージして、私が作製
したものです。江戸時代の千羽鶴は、現代の糸で綴じて束ねたもではなく、
切り込みを入れ、1枚の紙から、連鶴として、折ったものだったのです。

古代の『千羽鶴』は、遊戯折り紙であるが、現在の『千羽鶴』と同様に、
縁起が良く、世の中の平和を願うものである。

ABOUT ME
オリドク
オリドク
 子供時代に折り紙、学生時代に創作折り紙を良くやっていました。会社では、エンジニアで、工学的センスで折り紙をながめていました。定年になり、趣味として折り紙とカメラを再開しました。ユネスコで外人に、市民活動で子供や老人に、折り紙を教えたり、孫と一緒に創作折り紙をします。   折り紙に関する事、手作りで楽しい折り紙、動く折り紙、そして、歴史、創作折り紙、将来の折り紙など、興味深いものを書いていきます。 これからは、折紙の時代です。あなたの人生を変えてみませんか。